私が小学3年生のころにアイススケートをやりに、富士山にあった日本ランドという遊園地に家族で行ったことがありました。
で、一日遊んで帰りにお土産を買ってやるということになったんです。
福袋事件
そのとき私は500円の福袋を買って貰ったんですが、帰りの車の中で開けてみるとしょうもないような物しか入っていなかったんです。
泣きました。
なんで泣いたかというと自分の決断で親がこんなものに500円もの大金を支払うことになってしまったことに責任感を感じてくやしくて泣いたんです。
親は500円もの大金を支払って私を喜ばそうとしたのに、私が喜べるような物はそこには入っていなかったんです。500円は私の選択のせいで捨てたようなことになりました。
500円の福袋であれば1000円とか2000円とかの物が入っていたりして500円以上の価値に膨らむものとばかり思っていたんです。
駄菓子屋事件
時は変わって小学6年生のころ。家庭用ゲーム機が今ほど充実しておらず、ファミコン、セガマークⅡ、MSXなど家庭用のゲーム端末は既に存在していましたが、明らかにゲームセンターのゲーム(アーケードゲーム)の方がスペックが上だった時代です。
当時のお小遣いは月300円でしたが、毎週のように駄菓子屋にアーケードゲームをやりに行っていました。安いものだと1回20円。エレベータアクションとかギャラガとかの少し古いゲームです。中には1回50円のものもあって、ゼビウスとかドルアーガの塔とかハイパーオリンピックとかの新しいゲームです。
でも、50円のはお金がもったいないのであまりやらず、友達がやるのを隣で見ていることが多かったです。私は大体20円のもの中心にやってました。
そんな価値感覚で生活していたのに、同級生の○辺君が2万円入った財布を落としたという
事件がありました。これはかなり衝撃でした。なんで財布に2万も入れて持ち歩いてるんだというのもありますが、2万円もあればいろんなことができると考えたからです。
ゲームもやり放題ですし、駄菓子も食べ放題です。今で言うなら300万円落としたくらいの感覚です。そんなとてつもない事件が起きたわけです。
お金に対する期待値の変化
何が言いたいのかというと、年齢によってお金の相対的な価値は大きく変わるということです。歳を取るにつれてお金の価値、お金へ期待する度合いは減っていきます。
なのでお金は貯めこむばかりではなく、60歳くらいまでにはある程度使っておくというのがある意味一番賢いと私は思っています。
それ以降、例えば70歳を超えると持病をかかえたりするケースも多いですし、終活という言葉があるくらいですので良い意味で死と言うものの準備ができてくると思います。
そうなってくるとますますお金への期待というものは少なくなっていくと思います。
ではでは、じぇーむでした。