何故こうも連日、豊洲の盛り土問題をテレビで取り上げるんだろうと思います。
都庁に送り込まれた刺客が、私腹を肥やしている悪代官らに天誅をくらわすみたいな展開だけで視聴率が相当取れるのかもしれません。
よくあること
今回の問題は「盛り土の上に建てられたはずの建物の下に盛り土がなかった」ことですが、こういった組織間や受発注者間の齟齬は以外と良くあることです。
関係した担当者の特定は1日あれば出来ることなので、現場では盛り土無し案を起案した人物や承認した人物は分かっているんだと思います。
物事を進めていたのは末端の担当者だと想像します(大組織の管理職はたいてい実務はしないので)が、その担当者に責任をなすりつけることもできない状況なんだと想像しています。
なぜなら、そういった仕打ち(パワハラやモラハラ)でその担当者が心の病になってしまったりするのも、組織では管理責任問題だからです。
空気の中で決まるとは?
そんな時、その担当者の上司が、
「私がちゃんと見ていなかったのが悪かったです。全ては私の責任です。○○さんには嫌な思いをさせて申し訳なかったです。上には当然私の指示として報告しますので安心して今の仕事を引き続きお願いします。」
とでも言えばカッコ良いし解決なのですが、そんな上司はドラマの中にしかいません。
もし、万一そういう気概のある上司(全責任を負いたい)がいたとして、その上司の上司、そのまた上司も責任を負うことが決定してしまうので、結局組織としては責任を認めない、できれば他の組織に責任を負わせたくなるという問題もあります。
そういったことで、最善の解は「段階的に空気の中で決まった」つまり「誰も悪くない」ということになります。
日本の管理職
現場では今「おれらは悪くない、あっちが悪いんだ、あいつらの責任だ」というパワーゲームがそれなりに繰り広げられているんだと想像します。
まあ大きな組織はどこもそんな感じですので、何か隠してる風だからといって、視聴者が本当に見たい図「悪代官が私腹を肥やすために、ゼネコンとグルになって好き放題やった。」といったことは無いのではないかと私は考えています。
当時の都知事や市場長が直ぐに全責任を認めない時点で「はぁ?」となってしまうかもしれませんが、すくなくとも今の日本にはトップや管理職が責任を負うという文化はありません。
下も「何かあったらトップや上司が自分の代わりに責任を負ってくれる」なんて思って普段仕事をしていないと思います。
これって、ガバナンスが弱いとかの問題なんですかね。
いわば文化のようなものなんですから、犯人探しなんて不毛なことは程々にして、出来てしまった地下空間をなんとかする方に力を入れる方が良いような気もするんですよね。
ではでは、じぇーむでした。