古来、中国には陰陽(いんよう)という物事をプラスとマイナスのバランスで考える思想がありました。
例えば風邪を引いたりしたら体の気のバランスが崩れたと考えるといった具合です。今でも漢方などはこの考え方で処方されています。
現代医学では薬で症状を抑えたり、外科的に取り除くといったことをするのですが、そういったことをしても原因である崩れた気のバランスは治りませんので、しばらくすると再発する場合もある訳です。
こういったバランスには、普段食べているものであったり、生活習慣、住環境などさまざまなことが関与していると言われています。
世の中はバランスで成り立っている
世の中は多くの人が想像する以上に複雑なもので、一人の人間が単純にあれは良い、これはダメ、あの人は素晴らしい、あの人はダメと判断できるようなものではなかったりします。
良いことの裏には必ず同じだけの悪いことが存在しなければ、世の中のバランスは取れません。
例えばいじめられっ子は、いじめの標的にされてしまうようなネガティブな要素を持ち合わせている反面、実はそれと同じだけのポジティブな要素を持っています。
周囲よりポジティブ面が強いからネガティブ面も同じだけ強くなりいじめられる訳です。
突出は欠落と同じ
また何かで突出している人には、必ずなんらかの欠落している部分があります。ですので、単純に「あの人は素晴らしい」といったことは言えません。
あの人は「この観点では素晴らしい」、「この能力においては素晴らしい」というだけに過ぎないということです。
これはどれだけ表に良いところしか見えなくても、必ず欠落した部分が内在しています。欠落した部分が無ければ突出もできないからです。
中庸であることが大事
このように物事には必ず二面性がありますので、意識的にバランスを取っていくことが幸せに生きるための鍵になってきます。
孔子の言葉で「過ぎたるは猶及ばざるが如し」というものがあります。何事もやり過ぎは良くない、中庸(バランスがとれていること)が大事という意味ですよね。
例えば、学業や研究などで著しい成果を上げている場合、代わりに失っているもの(健康、家族と過ごす時間など)をちゃんと把握しており、それが大きくなった場合に成果を出すスピードを緩める、成果を出そうとしないということができれば中庸であり問題はありません。
しかし、これを何も考えずに突き進んでしまうと、あるところでポキッと折れてしまうことになりかねません。折れてしまうのは健康であったり、心であったり、家族であったりと様々です。
おわりに
織田信長は、金ヶ崎の戦いにて娘婿の浅井長政の裏切りを知り、絶体絶命の窮地に置かれます。
信長はこの時、誤報を疑いつつも退却を決意し、命を落とす可能性の高いしんがり(敗走する軍隊の最後尾部隊)は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が引き受けます。
実は退くことにこそ一番勇気や能力が問われるものです。この退却に成功した信長は後に天下人となり、秀吉も出世することとなったのは言うまでもありません。
もし今まで自分の生き方のバランスについて気にしたことがなかった人は、今の状態を振り返ったり、周りの人の意見(バランス感覚が適当であるかどうか)を聞いてみたりするのも良いかもしれません。
ではでは、じぇーむでした。